毒とジュエリー時々整体

日々のつぶやき

信じるということ



私的メモです


どうぞスルーしてやってください





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誰にでも何か一つは

生まれながらに与えられた

才能があるという。


私に与えられたものは

多分だけど…

人を信じる、という才能だ。


"信じる"と言っても

信用するとか盲信するとか

そういうことじゃなくて…

頭の中に確実に存在していることを

改めて言葉にするのは難しい。


私が才能として与えられた"信じる力"は

あくまで、誰かの本質みたいなもの、

可能性みたいなもの、そういうものを

その人が必ず花開かせることを

確信する、そういうことなのかな?

昨夜そんなふうに思うきっかけがあった。



人は他人を簡単に見限る。

特に相手がなんの思い入れのない他人とか

嫌いな人とか反感を待ってる人とか

そうした好意の持てない相手のことは

よく知りもしないのに上っ面を捉えて

決めつける。


でもね、

人って、その人自身が自分を信じるよりも

もっと強い気持ちでその人のありのままを

信じてくれる人がいたら、いつか必ず

その人の本領を発揮して輝き出す。

本来の自分の持つ宝を掘り起こす。

私はそれを確信している。


誰かに会う時

私はその人の外見ではなく

その向こうにある魂を見る。


皆が求める"優しさ"は

"弱さ"の裏返し。

本当に思いやりのある優しいひとは

一見冷たく見えるものだ。

同情でもなく、憐れみでもなく

本当の慈しみは与えられているその時には

分からないものだ。

その人が自分の元を立ち去ったあと

ずっとずっと後になってからようやく

相手から貰った"優しさ"に気付く。