毒とジュエリー時々整体

日々のつぶやき

祖母の混ぜご飯


中学生の時

国語の教科書に高村光太郎の

詩か随筆かどちらか忘れたが載っていて

奥さんの亡くなった後、生前に彼女が

漬けていた梅酒を味わう

という内容だった。


私はそれを読んで

自分だったらとても飲めないだろう

と思ったのだが、クラスメイトの中には

やっぱり光太郎のように自分も飲むだろう

と言う人も何人かいた。



祖母が亡くなったのは

ちょうど今年のような暑い暑い夏だった。

8月に入って納骨のため皆で集まった時

叔母が祖母が作った

混ぜご飯の素を持ってきてくれて

おいしいから作ってお食べなさい

と言った。


しかし私はどうしてもそれを

受け取ることが出来なかった。

持って帰っても胸が詰まって

多分作って食べる気にならないだろう。

亡くなる直前に祖母が作ったものだと

思うとあまりに大切で取っておきたくなる。

でも、置いておけばやがて傷むだろう。

かといって食べたら無くなってしまう。


だから別の叔母に持って帰ってもらった。



時折、夏が巡ってくると

あの日の祖母の混ぜご飯の素を

ありありと思い出す。

そして後悔する。

なぜ持って帰って食べなかったのだろう?

きっと食べる時に胸が詰まって

喉の奥がキュッとなって

苦しくてたまらなかったとは思うが

大泣きしながら食べたって良かったんだ。

そうやって泣いて泣いて

祖母の在りし日の姿を偲び

その味を心と体で覚えておく

それが孫として最後に出来た孝行だったろうに。


私は祖母の料理が大好きだったが

混ぜご飯は食べたことがなかった。

だから今更にあの叔母に譲った素は

どんな味だったのか?と思ったりする。


祖母が遺したものを食べてあげることも

また供養なのに、自分のおセンチで

拒否したことを申し訳なく思う。


中学生の時に読んだ光太郎の文章は

時を経て私の胸を打つ。

彼は奥さんを偲びながら

梅酒を味わったのだ。

確かに、飲んでしまえば無くなってしまうが

それは彼の中に生涯残り

智恵子を思い出す時にはいつでも

舌の上に甦ったに違いない。