毒とジュエリー時々整体

日々のつぶやき

昔の翻訳で育つと



私が子供の頃は


外国の絵本とかお話は


戦後すぐとか


なんなら戦前とかの


古い時代のものがそのまま出版されていた


その当時ですら


既に使われなくなった言い回しとか


死語とまではいわないまでも


身の回りで使う人のいない言葉とか


ご大層に思える丁寧語とか


読んでいて子供心にも


変な言葉遣いだな


と思ったりもしたが


(聞き慣れない言い回しが多かったのもあって)


そこがかえって面白くて



ええ、それでよござんすよ


とか


そうら、おいでなすった


なんて


真似して使ってみたりしたものだった。



話の中に出てくる


くろすぐりのジャム


とか


つるこけもものパイ


とか


一体どんな果物なんだろう?


と想像を巡らせたりした。



それに、


カシスとかクランベリーと言うより


美味しそうな気がするから不思議(笑)



その後、古い翻訳には誤訳が多い


(時代的なこともあって、戦前戦後辺りの

翻訳者は海外経験がなく、あくまで机上の

知識のみで訳しているためどうしても

日本にないものは間違った解釈をしがちに

なりそれが誤訳になってしまう、と

言われている)



ということもあって、次第に新訳版が


出るようになっていった。



私の愛読書「 アンネの日記 」も


中学生の時は古い翻訳で読み


その後新訳版を手に入れたが


内容に結構な違いがありびっくりした。



また、


「 ジーギル博士とハイド氏 」


これはぜひ古い翻訳でよむのを


おすすめしたい。


最後の告白文が新訳と旧訳で


全く違うのだ。


全く違う、って、とんでもない話じゃない?


しかも、どう読み比べても


昔の訳でないとこのお話の核が


あやふやになってしまう、と


あくまで私個人の意見だけど


そう思う。


ただ、古い訳はちょっとスピっぽいので


"いっちゃってる人"


と思われかねない内容になっているので


新訳ではそこを少し柔らかい言葉に


置き換えたのかもしれない、とも思う。



リルケの詩も断然古い訳が好き


古い訳でなければリルケじゃない



と、誰に語っているわけでもないが


誤訳さえなければ古い翻訳で読む


小説や詩やファンタジーは


本当に言葉が美しく味わい深い


と思うのである。