毒とジュエリー時々整体

日々のつぶやき

どうしたい?



道を歩いていたら

小さな子供とそのお父さんらしき人がいて

突然歩かなくなった子供に

"突然どうしたの?"

と訊いているのが聞こえた。


そのあと、さらに

"どうしたいの?"

と尋ねている。


通りすがりに聞こえてきた会話だから

そこからどうなったかまでは分からない。

でも、なんだかとても"羨ましい"

と思った。


私は小さい頃に、自分の不可解な言動

つまり、突然やめたくなったり

急に不機嫌になったり、気持ちがよそに向いたり

そんなことがあったときに

"どうしたの?"ときちんと訊いてもらったかな?


さらには、それを聞いてもらった上に

"どうしたいの?"と尋ねてもらったかな?


幼い子供だから、と勝手に判断したり

きめつけたりされるのは不本意だ。

側から見てどんなにめちゃくちゃでも

ちゃんと本人なりの理由がある。

やっぱり言い分は聞いて欲しい。

そして、どうしたいのか?って

尋ねてもらいたい。

幼い時って、気持ちを聞いて欲しいのだ。

分かって欲しいのだ。

それをしてもらっていないと

大人になった時、自分はどうしたいのか?

が分からなくなるような気がする。


大人になった今、

私は相手にまずどうしたいか?と訊く。

そして相手の答えを聞いてそれに合わせる。

それは別に譲歩してるわけでも

相手を優先してるでもなく

自分はどうしたいのか?

がなかなか出てこないからだ。


子供の頃に気持ちを尋ねてもらえず

こうしなさい、ああしなさい

今はダメ、文句言わないの

と、大人の判断に従わされてきたツケは

自分の本心を探るのが苦手となり

本当はどうしたいのか?が分からなくなった。

分からないから相手のやりたいことに合わせる。

決めなくていいのが楽だからだ。


周りを見ても

パッと自分のしたいことを言える人もいれば

あなたと同じでいいよ、と言う人もいるし

先に人の事を聞いた上で答える人や

うーん、と考え込んだまま固まる人もいる。


幼い頃にどう扱われたかで

こんなにも変わってくるんだな。


時間は取り戻せないのだから

せめて、今更ながらに

あなたはどうしたいの?

と常に自分で自分に訊いてあげようと思った。