毒とジュエリー時々整体

日々のつぶやき

純銀パワー 2



混ざりけのない100パーセント銀のもつ


魔除けの力に一縷の望みを託し


ここ数年絶えない怪我や体調不良の連続から


なんとか脱却したいと思ったのに


なぜか安い純銀リングを探し出し買った私。


我ながらアホやなぁ…


節約するところを完全に間違えている。


大体、本気で厄を祓おうとするのであれば


"懐を痛める"というのが大前提で


何より大事、かつ、必須、である。


大きなもの、良きもの、を手にするためには


まずは自分が何かをごっそり手放さなければ


始まらないのである。


何の痛みも伴わずに良いものだけ得ようなんて


そうは問屋が卸さない、わけである。


話は少々大袈裟になるが


お寺で修行経験がある人の話によると


見えないものを扱う人は皆、


それなりの人にそれなりのお金を払って


魔除けのお守りを作ってもらうのだそうだ。


そういうことを専門にやっている職人さん


というのがちゃんといるのだという。



専門の職人が刀鍛冶のように一鎚一鎚


渾身の力を込めて金属を鍛え


指輪なり五鈷杵などの法具を作って初めて


それらは魔を弾く力を秘める。



うん、そりゃそうだ。


支払った対価に見合うものしか受け取れない


それが世の真理というものだ。



私が買った指輪は数千円


長年純銀でアクセサリーを作っている


人の良さそうな初老の男性のお店のもので


何でもかんでも無料でやってくれる。


鎚目加工も本来は追加料金なのに


いいですよー、とやってくれたのだが


サービスだけあって素人目に見ても


テキトーにチョンチョンと鎚を入れた感じで


とても一鎚一鎚渾身の力を込めて打ったようには見えない。


指輪自体も手作り感満載で


つなぎ目も分かるし所々バリもあり


微妙にガタついていて幅も一定していない。


おそらくお年のせいで細かい所が見えないのだろう。


優しいお人柄そのもののほんわかとして


どこかのほほんとした空気を纏った指輪は


普段着けるにはとても良いとは思うが


魔除けにはあまり向いていないようだ。



正直、変なところに出費を惜しんだ自分に


後悔をしていた。



ところが…


なんとなくだけど


流れが変わったのを感じるようになってきたのだ。


おそらくそれは純銀パワーではなく


内側に(これまたサービスで)彫ってもらった


魔除けの言葉のパワーではないかと思う。


言葉は言霊、なんらかの力がある


そう私は信じてきたが、


発さなくとも文字にも力がありそうだ。


しばらく様子を見てみないと確信は


まだ出来ないけれど


これで流れが本当に変わってたら嬉しい。


でも、変わっていないようなら


今度はちゃんと"お財布が痛い"レベルの


純銀製品を購入しようと思う。


物に頼るのは本意ではないけれど


何年も苦しんだのでここらで打ち止めたい。