毒とジュエリー時々整体

日々のつぶやき

祖母の拭き掃除



子供の頃、祖父母の家に行くと

お駄賃制で何かをすると

10円とかヤクルトとかもらえたので

よくお手伝いをした。

干し豆の殻剥きとか、玄関を掃くとか

近くのお店にお使いに行くとか。

そんなお駄賃目当てにやる中に

雑巾掛けもあった。


私が雑巾掛けを始めると

祖母が後ろからついてきて

私がたった今拭いた所をもう一度拭く。

そんなことをされると子供とは言え

やはり傷つく。

なんで私が拭いたのにまた拭くの?

と問うと

2回拭く方がもっと綺麗になるでしょう?

と返された。

なるほど、と思った。


それから別の日にまた雑巾掛けをしていると

やはり祖母が同じことをする。

私が前の教えを守って2回拭いたよ

と言うと

あなたの拭き方では綺麗にならない

と答えが返ってきた。

これにはひどく傷ついた。


当時(小学生)の私の拭き方は

広げた雑巾に両手を置いて、

それを滑らすようにしながら

タッタッタッタと走るように拭く

誰もが雑巾掛けと言ったら思い浮かべる

あのお決まりのスタイルだった。





一方、祖母はというと

雑巾は広げずむしろ小さく折り畳んで

それを前後左右に力を入れて拭いていく。

一つの面が汚れたら、綺麗な面に折返し

そこでまた小さく拭いていく。

全部の面が汚れたらバケツの水で洗う。

(私は一気に拭くのもあり洗わずにやっていた)

私がとっくに全部を拭き終えても

祖母は全然終わっておらず、

拭き終わるのにものすごく時間がかかった。


おばあちゃん、なんでそんなに時間がかかるの?

一気に走り抜けた方が楽だし早いじゃないの。

と私は得意になって言った。

学校で祖母のように拭く人はいない。

学校=正義と思っていたので

私には祖母がいちゃもんをつけてるように感じていた。

見た目にも祖母と私の差はないように思った。

どちらがやった後も、板の間が薄っすら濡れ

ピカピカと綺麗に見えた。


それでも、やり直されるのが悔しくて

私は祖母にやり方を習い

見様見真似でやるようになった。

板の目に沿って、小さく力を入れて…

でも、時には疲れて祖母の目を盗んで

一直線に走り掛けをすることもあったが

やってみると雑巾の汚れ方が違った。

それに、きちんとやると祖母が後から

もう一度拭くということがなかった。

それが認められたようで嬉しかった。


そして現在、

大人になった私は(当たり前だが)

毎日祖母のやり方で拭き掃除をしている。

あの時、反抗心いっぱいで不貞腐れて

嫌々習った祖母の拭き掃除だったが

今それがとてもためになっている。

教えてもらっていて良かった。


古くて小さいけれど

無垢の木材をふんだんに使った

居心地の良い祖父母の家は

火事で焼けて今はもうない。

原因が身内ではなく他人の火(タバコ)の不始末

というのが今でも悔しい。

磨き上げて黒光りしていた板間

社交場でもあり寛ぎの場でもあった縁側

板が浮いて怖かった五右衛門風呂…

今でもありありと思い出す。