毒とジュエリー時々整体

日々のつぶやき

身体の声を聞く


一昔前に


「体の声を聞きなさい」


という本がベストセラーとなった。


私は読んでいないので、

どういう内容か知らないし、

この本の中で

"体の声を聞く"ということを

どのように説明しているのかも知らない。


だから、この有名な本の内容とは

全く違う意味合いになってしまうかもしれない

いや、多分そうだろうと思うが

時々、本当に何年に一回あるかないか程度

"体の声"を聞く瞬間がある。


去年の夏

近所の歯科医院で抜歯をして

インプラントにすることを勧められた。

その時、私の意思とは違う何かが


嫌だ!


と言った(ような気がした)

それはズーンと重く全身にのしかかってきた。


もちろん、歯科ドクターは、

私がインプラントを拒否するなら

一か八かで残すよう治療してみる

とも言ってくれていた。


そこから調べに調べて今に至ったことは

過去にここで散々書いたので省略するが、

ようやく秋になってたどり着いた専門医に


"やるだけやってみるけど三分七分"


とほぼ絶望的な診断を受けた時


"治る!"


と、これまた私の意思とか期待感情ではない

何かからの強い声がした。


その後何度も治療に通い

通う度に諭吉さんが5人も時には10人もと

旅立って行き、親には金額に驚かれ

"騙されてるんじゃないの?"

など言われたりもしたし

専門医には

"かなり厳しい状況なので諦めてもらうかも"

と何度言われたか知れない。


が、何度目かの治療を受けているとき

またしてもどこからともなく


"治る!"


という声がした。

正確には何か聞こえた訳じゃないので

声ではないのだけれど…


実際はまだ治療中であるし

最後の最後までどうなるか分からない。

それでも、この治療を通じて

私が自分だと思っている"何か"

ではないもう一つの"何か"が存在し

それにもちゃんと意思のようなものが

あるんじゃないかなと思うようになった。


歯に限らず、病気や怪我で病院での

治療を受ける時、大半の人は

主導権をドクターや周りの意見に明け渡し

言われるがままになりがちではないだろうか?

少なくとも私はそうしてきた。

多少おかしなことや不満があっても

それを身近な誰かに愚痴ることはしても

病院で主張したり拒否したりしたことはない。

嫌だと思っても我慢して受け入れてきた。

その体の持ち主は自分で、一生付き合うのも自分、

何より"それは誰の体なの?"

ということをきちんと認識してこなかった。


このようなことを踏まえて

治療を受ける時は

自分はどうしたいか?

ということと同時に

私の体はどうされたいか?

ということを考えるのが大切なのだと思う。

それが

体の声を聞く

ということなのかな、と思った。