毒とジュエリー時々整体

日々のつぶやき

闘病記を読んで思うこと


とてもデリケートな話なので

書くかどうか迷っていたのだが

そもそもこれは誰のためでもない

私のブログなわけだし

アクセス数も少ないことから

読んでくださる方もあまりいないだろうし

遠慮することもないのかな?

書き残しておきたいことだから

やはり書くことにした。

あくまで個人的な考えなので

独り言を許容してくださるのみ

お付き合いください。











ここ2年ほどずっと読んでいるブログがある。


いわゆる闘病日記である。


ただ、私が読み始めた時は


既に回復期にさしかかっており


長い寝たきり状態から立つ練習をしている


という時だった。


その後、みるみると回復され


立つ練習から歩く練習へと移り


現在は見事に社会復帰も果たされている。


そのブログをずっと読んでいて思うのは


自己主張の大切さと継続の大事さ


感謝、笑顔、そして、祈り


本当はもっとあるけど、


とにかく意思が強い、ということ。


病人だから、という遠慮がなく


堂々と


これは嫌だ、こうしたい


と1ミリの我慢もなく主張する。


もし私が介護される立場であれば


介護してくれる人に遠慮して


されるがままになっているだろう。


病人だからわがままは言えないと思い


何かを頼んだり、嫌だと拒否したりなんて


おそらくできないだろう。


多分、ここが治る治らないの境目だ。


それから、このブログ主さんは


強い意思で継続することが出来る人だ。


成果の見えない小さな事をコツコツコツコツ


毎日するのはものすごく大変だと思う。


何か変化なり実感なりがあれば


続けることはそう難しくない。


でも、手応えのないものを毎日少しずつ


やっていくのはとても難しいことだ。


このブログ主さんの自分の心の見つめ方


身体の声の聞き方は本当に素晴らしい。


だからこそ、余命宣告までされていたのに


ここまでの回復を果たしたのだろう。


非常に学ぶことが多いブログなのだ。



もう1つ読んでいる闘病ブログがある。


こちらは読み始めた数年前は


普通の雑記ブログだったのだが、


ごく最近病気が見つかり闘病記になった。


こちらは前述のブログとは違って


行き当たりばったりというか


病気を徹底的に調べて対策を練る前者と違い


自分の運の良さを信じ、


"ヒーリング"を受けまくり、


あちこちのパワースポットへ行き


怪しげなグッズやパワストを身につけ


病院で指導されている食事メニューを


たまのご褒美と称して破ったりする。


これで治るんだろうか?と


一読者にしか過ぎないけど心配になる。



でも、きっと正解なんてない。


どちらが正しいとか間違ってるとかでもなく


闘病は1人1人違ってて良いのだ。


当事者が1番納得する形であるべきだ。


周りの人達の気持ちは置いておいて


もっとわがままであってよいのだろう。


もし重篤な病気となったとき


私は自分をきちんと主張できるようでありたい。


病院の言い分、外野の声に流されず


自分が納得できるように闘病したい。


それと同時に


今何もない日々の中でも


きちんと自己主張が出来る様に


周りにあまり気を遣いすぎないように


この人生の主人公が誰かを常に意識して


毎日を過ごしたいと思った。